■建築研究資料

都市形成史・災害史資料集1 (享和2年長崎市中明細帳)

小林  英之

建築研究資料  No.61,  1987,  建設省建築研究所


<概要>

  長崎は元亀2(1571)年の開港から近世市街地の範囲がほぼ固まった寛永(1630-40)頃までの間に急速に開発され,以後幕末に山手の居留地開発が開始され,都市が斜面に向かって再び拡大し始めるまで,人口の増減を超えてほぼその画的広がりを保った。その間,記録に残るだけでも少なくとも250の災害が認められ,そんうち家屋流失を伴う水害は12件見出すことができる。またそれらの災害を契機として街路・溝渠・都市施設等の整備による都市の内的改善,あるいは出勤・避難体制の精緻化が行われている。しかし,初期の都市の基本的骨格や宅地割の基本は保たれており,その中にも結果的に見た合理性が認められる。敢えて言うならば,要素技術の未発達だったこの時代に於いては,防災は都市計画の問題であり,総合的に対処すべき課題であった。
  近世長崎のほぼ完成期を示す当史料の性格は,この史料の奥付によく示されているのでここに引用する。
「明治2(1765)年,石谷備後守様御在勤の時に,この明細帳の作成・提出が命ぜられ,同年調査を行い新規に作成・提出した。その後,毎年地子(地祖),人別,運上等の増減を貼紙によって追記し,9月の交代前に提出してきた。ところが去る寛政7(1795)年の出水以来,場所が入狂い,課税地の中にも変わった所が多く,直ちに調査することも困難で,5〜6年間提出が中断していた。そこで今春,課税地その他の入狂った場所を調査し,新規に帳面を作成し,ここに提出する。

享和2(1802)年9月1日
成瀬因幡守様御在勤
年   番      福田十郎右衛門
副年番      高島四郎兵衛


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